イラン、その゛宗教支配国家゛の問題点を考える!?

アメリカの無人戦闘機が今月3日、イランの革命防衛隊のソレイマニ司令官とイラクの親イラク派人民防衛隊のムハンディス副司令官を攻撃・殺害した。これに反発したイラン政府は、アメリカへの゛報復゛を宣言。
両国の大規模な戦闘拡大が懸念されたものの、この間に起きたウクライナ航空機爆撃(乗員176人が死亡)が、イラン軍の誤爆であったことをイラン政府が認めて謝罪するなど、状況は思わぬ方向に展開し、大規模な戦闘は回避される方向にあるようだ。
とは言っても、中東ではアメリカ(キリスト教)とイラン、イラクなどイスラム教国との間の軋轢は常に情勢を不安定にしており、何がきっかけで武力衝突が起きるか予断を許さない状況と言える。
さて、私も軍事評論家みたいなことを言っているが、いわゆる中東の゛もめごと゛というのは、キリスト教とイスラム教の゛宗教戦争゛だと常づね思っている。この二つの宗教は、いつも相手を゛蔑む゛ことをやめない関係にあるのだ。
作家の井沢元彦は著書『世界の「宗教と戦争」講座』(徳間書店)の中で、゛イスラム教の世界゛という項目で以下のように述べている。

イスラム教でも、ユダヤ教でも、キリスト教でも、信じる神は同じなのですが、ユダヤ教やキリスト教の信じ方はまだ不十分だとイスラム教では教えます。旧約があり、新約があり、キリスト教徒はイエス・キリストが出た段階で、彼がすべての救済を引き受けてくれましたから、これから後は必要ないと考えます。
ところがイスラム教は違うのです。イエスですら、絶対の造物主である神の預言者の一人にすぎない、と主張します。実際゛三位一体゛などゴマカシで一神教なのだから神は一つ(アラー)しかない、と『コーラン』に明記されています。

というわけである。こうしたことから、イスラム教は常にキリスト教・ユダヤ教を批判し、それにキリスト教・ユダヤ教は反発してもめごとが(アラブとイスラエルの対立など)起きるというわけである。



さて、私はこのイランというイスラム教の最高指導者(聖職者)が、国を゛指導゛していくという形態に疑問を持っている者の一人である。いわゆる政教一致型社会は聖職者独裁政治に他ならない。
つまり、共産党一党独裁とさして変わりないということ。共産党員が指導層(エリート階層)を作り出すように、聖職者という゛特権階級゛を生み出してしまうということだ。
イランはイスラム法という「宗教の教えが」生活社会を縛り付けるという実態を作り出している。そのことは宗教家が古代・中世と同じ宗教支配の形を現代に持ち込んでしまうということだ。
聖職者は、人々の自由や社会の発展よりも、古い因習の固定化と聖職者の利権を守ることに腐心する。当然、古代のような男社会になり、古色蒼然とした男尊女卑社会が継続されることになる。
つまり、なにも゛新しいものを゛生み出さない社会になってしまうということである。ただ古いものを守ろうとするだけの社会。イランなどのように石油という゛神の恵み゛があるから潤っているように見えるが、実態は進歩のない社会ではないかと私は思っている。
1979年のイスラム革命は、ホメイニ師というカリスマを戴いた古代への゛復古革命゛なのだということだ。当然、時代に逆行しているため、国内ではいろんな矛盾が噴出することになる。
ということで、イランなどイスラム国家では宗教支配=聖職者支配という独裁体制の矛盾が、これからも国の内外で爆発することを余儀なくされるだろうと思う。遠くにいる日本人には、その実態がなかなか見えにくいということである。